人と人

2017年10月19日心のこと*1

人と人が出会って
かかわって
ともに過ごしたり
やがて離れたり

別れてそれっきりになる人もあれば
再会を果たす人もあったり

いずれにしても、
たとえ一時(いっとき)でもかかわりを持てるということ、
それって本当はすごく特別なことだと思う。

そう思いながらも、じゃあわたしは
そのかかわりの一つひとつを、その時間を、どれだけ大切にできているのかなと思うと、

「うーん……」

となってしまう部分も少なくないけれど……。

 

わたしは、人と人のかかわりについて考えていると、よく頭の中に“線”が思い浮かびます。

たくさんの線があって、そのうちの1本が自分で。
いろんな線と接したり交わったり。
もちろん、自分と接点も交点も持たない、そういう線もたくさんある。
ときどき、出会ったお互いの線がだんだん太くなっていって、
接したところ、交わったところに幅や広さが生まれたり、あるいは濃くなったり。
そんなことが起こるときもあって、だけど、それがずっと続くとは限らなかったり。
もし、いつも近くを走り、
たくさんの接点、交点を持ちながら、そこに幅や広さ、濃さを持つこともありながら
ともに歩いていくことができる、
そんな線と出会うことができたなら、それは本当に幸せなことだったり。

線と線の接点や交点で人と人が出会ったりかかわったりしている、そんなイメージです。

 

わたしは「黄色い扇風機。」「旧 たとえばこんな不器用な雲。」
過去blog の記事をリバイバル更新しています。
最近になって感じたことなのですが、その過去blog には
多くの人とたくさんの接点や交点を持てたその時間が今でも存在し、流れています。
“過去の良い思い出”というようなことが言いたいんじゃないんです。
わたしの生きてきた時間の中に、そういったあたたかい時間や瞬間が確かにあったんだ、
ということ、そういった実感を「当時持っていた」だけでなく、
「今、改めて感じた」とか「今になってようやく感じた」とかいうことでもなく、
うまく言えないんだけど、
「今の自分が今のこととして初めて感じた(感じている)」んです。

たとえばわたしの場合、つい、

「あの頃のみんなは、今はもう、ほとんどがいないじゃないか」

などと考えて、淋しくなったり、悲しくなったり、ときには
腹立たしささえ覚えたり、いじけるような気持ちになってしまうこともこれまでにはあったし、
これからもそういうことがまだあるかもしれない。
でもそうじゃなくて、それはそれとして、
その「確かに存在した時間」というものそれ自体がとても嬉しいし、幸せだな、って。

ふとそんな風に思って、そうしたらなんだかまた泣けてきてしまいました。

 

blog をやめてしまった人、更新が止まったままの人、
疎遠になってしまった人などいろいろだけど、
たとえ一時(いっとき)でもかかわりを持てたそれぞれの人に
今、「本当にありがとう」って思う。
そして、それって blog に限ったことじゃないなぁ、とも思います。

自分の中に確かに存在した時間、わたしにとっては宝物です。

 

2016.12.2 空