重心
[リバイバル版初回投稿:2020年7月28日]
セラピーや心理学の勉強を始めて4年目に入りました。↲
わたしの場合、 ↲ 「セラピストになりたくて」というよりは、↲
自分のために勉強を続けてきています。
自分のためではあるけれど、勉強を続けていって、その延長線上にもし
「自然とセラピストになっていた」↲
「いつの間にかそうなっていた」
という未来があるなら……そういうのだったらいいなぁ、と思います。
セラピストになることを目標、目的とするのではなく、ね。
目標、目的とするとしたら、恐らくそのわたしは簡単に“間違えて”しまうような気がします。
本当に大切なことが全然見えなくなってしまいそう。
人に認められたい、とか、人より優位に立ちたい、とか、
そういった気持ちが自分の中にあること、その気持ちはけっこう大きいであろうこと、
自分でよく知ってるしなぁ……。
ちなみに、「セラピストとして」とか「誰かのお手伝いをする」ということについては、
勉強や実践など、5年くらいやると少し何かが変わってくる、
できるようになること、分かるようになることが少し出てくる、
そして10年やるとだいぶ変わる……そんなことを何度か耳にしています。
ところで、わたしには勉強を始めたきっかけであり、
また、勉強を続けてきた理由の1つでもあること(けっこう大きな理由)
というのがあったのですが、それが最近なくなりました。
そして、決してそのせいにするわけではないのですが、そういう意味では
「勉強はこのあたりでもうやめてしまってもいいのかもしれないな」
ということを、案外本当に、冷静にそう思っていたりもします。
もちろん、この勉強はとてもおもしろいし、好きです。
だからこそ続いているんだろうし。驚きや感動も多いです。↲
けれど、
「(今のペースは、あるいはわたしには)少し無理があるかもしれない」
と思う気持ちがあったり、それから、
この勉強はここまでやれば良いというのがあるわけでもなければ、
この通りに進んでいけばいいという決まったルートや順序があるわけでもなく、
先が全く見えないことへの不安や焦りといった気持ちがあるのも事実。
“自分のペースで”とか“自分なりの道を”ということの難しさを常に感じています。
それに加えて、「自分のいろんなことに気づけるようになる(なってしまう)」というのは
良いことばかりとは限らず、苦しい思いをすることも少なくありません。
そういったいろんな気持ちがあって、
ひょっとしたら、逃げたい気持ちとか怠けたい気持ちなんかも含めていろんな気持ちがあって、
それでもこのまま進んでいく、勉強を続けていく、というのも悪くはないし、
けれど、自分にとって何が本当に良いことなのか、どうすることが一番幸せなのか、
そういったことを考えたときに、全く別の日常を選択するのだって
同じように悪くないのかも……と、ある意味当たり前にそう思います。
これまでにもこんな風に考えることがなかったわけではありません。
でも、「理由」がなくなったことで、なんていうか、自分の中のこんな風なことが
あり方を変えたというか……考えることは同じであっても、“感じ”が変わったというか。
もし、勉強をやめたら、わたしは何をするだろう?何がしたいだろう?
勉強のおかげでたいぶまた活字が読めるようになったから、
いろんな本を読んでみたくなるのかなぁ。
ゆっくり散歩に出かけたり、カフェでのんびりとコーヒーを味わったり、
本当にたまにだけど描くようになった絵をもうちょっと描いてみたり、
全然できないしやろうともしない料理だけど、練習を始めてみたりとかも……?
そういう日常だっていいのかもしれない。案外本当に幸せかもしれない。
「自分と向き合わなくてはならない」↲
「きちんと向き合うべきだ」
という考えも、わたしは特に持っていないつもりです。
自分はそうしたいからそうしてきただけで、「そうしなくてはならない」とは思っていない。
このしんどい作業は義務でやるようなことではないと思っています。
自分と向き合うこと、自分のこころを探索することをしている人は、本当に
「頑張っているね」↲
「すごいね」
と思います。自分にもそう言っておこうかな(笑)。↲
そして ↲ ……わたしがこんなこと言うのはちょっとふつりあいなようで気がひけちゃうけど、
自分と向き合うことで人生が豊かになる、そういう部分があることは確かに体感しています。
ただ、だからといって一番大事なことが「自分と向き合うこと」になってしまうとしたら、
それはどうだろう、それって本当にそうなのかなぁ、って思う。
わたしにとっては、一番大事なことは「自分と向き合うこと」ではなくて、
勉強を続けることややりとげること、その結果、何者かになることでもなくて、
たとえば、日々を穏やかに過ごせることだったり、
こころのあり方として、広く高く大きくいられることだったり、
一瞬一瞬、自分のために(より良い)“選択”をしっかりできることであったり……。
そのために、もし、勉強をやめるとか一時的に手放すとかいったことのほうが良さそうであれば、
そういう選択は当然アリというか、いつでもそういう選択もできる自分でいたいなぁと思います。
勉強を続けるかどうかを迷いながらも、続けているうちは一生懸命やりたいと思います。
この秋になって、なんとなくだけど、転機らしきものを迎えているような気も。
これまでとはちょっと違った勉強に興味を持ち始めていたり、取り組んでいたりします。
と言っても、わたしの中の方向性は変わってなくて、
これまでのこととのつながり、関連を思っての“ちょっと違った勉強”です。
今回の記事は少しごちゃごちゃしてしまったかもしれませんが……
もうやめたっていいと思っている――この気持ち、わたしにはけっこう大事だったり、
もしかしたら、この感じがかえってちょうどいい、そういうこともあるのかもしれませんね。

こちらは過去記事のリバイバル版です。リバイバル版は投稿の際、元の記事・コメント(ディスカッション)に■色または■色の文字(伏字*を含む)、■色の取り消し線 で修正等を加える場合があります。
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