網と声

2021年6月9日みかん箱

からだの感覚に意識を向けてみる。
……まるで、からだの内壁全体にクモの網が張り巡らされているみたい。
自由に動けなくなっている。

ある知人と10年ぐらい関わって、今、自分を見てみればこの状態。
最近になって関係がおかしくなった、とかじゃなくて。
はじめから大してうまくなんかいってなかった。

それでも、ともに学んで、成長していけるものと思っていたんだけど。
お互いに助け合ってやっていけると信じていたんだけど。
何よりも、いつかは穏やかで楽しい時間を共有できるようになることを願っていたんだけど。

友人として。
仲間として。

でも、わたしの勝手な期待、欲求でしかなかった、そういうことなんだろうと思う。
そうなのかもしれないと何度思っても、認めたくなかった。
相手が
「違う、そんなことない」
と言葉ではそう言うのも、わたしには都合が良かったのかなと思う。

悲しい。
腹が立つ。
悔しい。

淋しい。
虚しい。

息苦しい。

10年分。

わたしは閉じ込められている。
クモの網の中。
気づけば全身に強固な網がはりついていて、それにとらわれていて。
そうならないように頑張っていたはずなのに、そこから出ようともがいていたはずなのに、網をまとったままの今の自分がいる。

いや、わたしは本当に網の外へ出ようとしていただろうか……。

ある朝、この全身の網に気がついて、イメージ的にすごくしっくりくる感じがした。
そして「はがしてみよう」と思った。

端のほうからゆっくりとはがす……と途端に涙が込み上げてきた。
これまでのつらい気持ち、悲しみや怒り、その知人に対する思い。
そして、網をはがすことに対する不安や恐れ、それは自分が変わっていくこと、新しくなっていくことに対する不安、恐れというか。
“網の中”は窮屈だけど、ある意味、居るのに慣れた場所には違いないし。

それに、網をはがすことで、その知人とはいよいよ“さよなら”をすることになるのかもしれない。

「これは、一気にはがして取り払う、というようなことじゃないな」
「ゆっくり時間をかけてやっていったほうがいいかもしれない」
そう思った。
大事なのは「網をはがして取り払うこと」それ自体じゃない。
はがそうとするとき、はがしていくときに感じる、自分のいろんな気持ちや感覚。
それを丁寧に味わうこと。

網の中の自分、
はがしているときの自分、
はがれた部分(からだ)、
網自体、

それぞれに、その全部にきっと自分の大切な気持ち、感覚があって、それはどれも無視しちゃいけないはずの自分の一部分。

ちょっとしたセルフワーク(の入り口)より。備忘録も兼ねて。

 
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Posted by まさえ