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らしさを。

2022年6月27日

[リバイバル版初回投稿:2022年1月18日]

ねぇ、あたしが発しているコトバは
本当に自分の想いなんだろうか。
あたしは本当に自分の考えのもとに
動けているんだろうか。

あたしはこう思うんだ、あたしはこう考えているよ、
だからこう動くんだ、と
いつもあれこれ偉そうに言うあたし。

けれど、ひょっとして・・・
ひとりでも多くのヒトに納得してもらえるような、正しいとされるような
“模範解答”みたいなやつ、あちこちから探してひっぱってきて
適当にくっつけてるだけじゃないのか、って。
それを分かったように言い放って
みんなに認められたいだけじゃないのか、好かれたいだけじゃないのか、
結局そんな自分だったりするんじゃないのか、って。
いろんなコト、ただ後付けでそれらしい理由くっつけて
自分はきちんと考えてるよ、ちゃんと頑張ってるよ、と
そういうことにして自分が満足したいだけじゃないのか、って。

そんなコト、今日はちょっと考えてみたよ。

自分“らしさ”とか、自分“ならでは”とか、自分“だからこそ”とか・・・
「これが自分だ」みたいな気持ち、想い、考え、意志、
そういうのってどの部分をもって
それだ、と考えるのがいいんだろう?
単に周りと違っていることを“個性的”とか
変わった考えを“オリジナル”とか
そういうことではなく。

あたしらしいって
どういうことなんだろうね。

でも、思うんだ。
例えば、あたしがキミにこだわり続けるのって
“キミらしさ”の部分が好きだから。
同じように誰かがあたしにこだわってくれるんだとしたら
それもきっと
“あたしらしさ”の部分が好きだと思ってくれてるからかな、って。

それがどういうトコで、ってのは
さっぱり説明できなかったりはするけれど。

いつも以上にまとまらない今のあたし(笑)。
けれど・・・そっか
周りにヒトがいる、と感じることが
自分らしく、自分ならではのあたしでいられてる、って
そういう目安になるんかなぁ。

と、つらつら書いているコレが
自分の気持ちを素直に書いているモノであることを
願ってみようかな。


こちらは過去記事のリバイバル版です。リバイバル版は投稿の際、元の記事・コメント(ディスカッション)に色または色の文字(伏字*を含む)、色の取り消し線  で修正等を加える場合があります。

 
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黒い星

Posted by まさえ